あぞう接骨院

スタッフブログ

私がこの仕事に就いたきっかけ(マサ)

 私が、この道に進もうと思ったきっかけは、ほんのちょっとした出会いから自分の病気がよくなったからです。
 私は幼い頃から、色が分かりにくかったのです。診断名は、「色弱」と言われました。どこの病院へ行っても「遺伝の問題ですから、治りません」と言われました。日常生活には、さほど影響しませんでしたし、気にしなかったのですが、とにかく絵を描かせれば、必ずと言っていいほど、へんてこな色を使っていました。そのため、担任の先生方は、私がへんな色を使わないかどうかを執拗に見に来ておりました。信号機の青も当時の私には、「白」に見えました。濃い色だと判別はまだしやすいのですが、薄い色になるとどれも同じように見え、へんてこな色を言っていたようです。高校のときに、私はある人物と出会いました。「化学」の科目を教えていただいていた先生です。「化学」という科目ですから、とにかく裏付けのある化学反応や化学式などを教えてくれた先生です。その先生には、当時、小学生の男のお子さんが3人おりまして、3人とも色弱でした。そして、ある治療院で治療をしたら、3人とも良くなったと言っておりました。「化学」という裏付けのある式などでなりたつ概念の教師が、雲を掴むような話をいうはずがないと思いましたし、これは事実だと思いました。しかし、私は自分の色弱が、日常生活にさほど影響しませんし、命に関わることでもないので、あまり治療をしようと思いませんでしたが、高校生になり将来の進路を決めなくてはいけないときに、自分が当時、漠然と決めていた方向が、色弱の人は入りにくい業界でした。私は、進路を変えてもいいかなと思いました。自分はそのくらい、将来のことを真剣には考えていなかったのです。しかし、両親は、騙されてもいいから「治療を受けて来い」と言いました。遺伝だから良くならないと決め付けず、治った人がいるという事実に藁をもつかむ気持ちでした。まさに、親が子供の為を思う気持ちです。私は、現在3人の子供がおりますが、確かにどんなときも子供の為ならという気持ちが出てきます。その両親の思いのお陰で、私はその治療院に出会うことができました。しかし、今までの全ての病院で「遺伝だから治らない」と言われ続けてきて、頭の片隅にその「治らない」という考えは知らず知らずに根強く残っていました。治療後1ヶ月2ヶ月・・・半年・・・一年と経過しました。県外で特急列車で片道2時間以上かかるところで、週末や長期休みしかいけなかったこともありますが、いっこうに変わりませんでした。「やっぱり遺伝で治らないんだ」と、もう半分以上諦めておりましたが、変化は突然やってきました。いつも治療が終わると、「色覚検査表」をみてテストをします。しかし、その日は、いつもと違って、私には検査表の答えが配られました。そこで、私は「先生 これ答えですよ。いつもの検査表をください」と言いました。すると、先生は「それで、いいんですよ」と。こっちが、「ください」と言っているのに、「それでいいんですよ」とは、会話が成り立たないなあと思い、一瞬何がなんだか分からなかったのですが、およそ5分後でしょうか、先生はにやにや笑っているし、辺りを見回しながら「そうかあ 変わったんだあ」と思いました。検査表の中で今まで「は」とみえた字に新たな色線が一つ増えて、「ほ」と見えたり、「よ」と見えていたのがまた新たな色の2本線が増えて「ま」に見えたり、「さ」が「き」に見えたり、だれかが色マジックでいたずらして色を付け足したかのように見えてきました。私は、それを期待して治療をしていたはずなのに、喜ぶ心があまり出なく、夢を見ているかのようで、「遺伝でも変化するんだあ」と体の不思議さに驚かされていました。
 当時、日本はバブル経済の絶頂期で大学受験は偏差値でランク付けされ、周りのみんなは「将来何がしたいとか」じゃなく、「偏差値の高い大学」「世間で一流といわれる大学」を目指して頑張っていました。でも、こんな経験をした私にとって、学校が一流だとか世間からどう思われたいとかは全く問題ではなく、「自分の体が何故変わったのか」、「人間の体には、どんな未解明のところがまだあるのだろうか」それを知りたいという気持ちでいっぱいになりました。そして、親に自分の思いをぶつけ、本来の志望と全く違う鍼灸の学校に入学させていただきました。それから、東洋医学というものを学ばさせていただきました。しかし、中国4千年とも言われる伝統医学は、私にとっては、かなり高くて分厚い壁でした。次第に、未解明のところに対する探究心は薄れ、現代医学で分かっているケガの分野に惹かれるようになりました。当時、私は、柔道部に所属しておりましたので、ケガが絶えず近所の接骨院で治療をして頂く機会がよくありました。そして、次第に、骨折・脱臼・捻挫・打撲などほぼ病態や治療法が解明されている分野を勉強したくなり、接骨の学校へ行き始めました。卒業後、接骨院で修行し、開業に至りました。しかし、そこから、また新たな壁にぶつかりました。解明されているはずの現代医学を勉強すればするほど、未解明のこととぶつかるようになったのです。そして、その解明には、現代医学、伝統医学の両方が必要であると思い始めました。
 私は、高校時代まで学校の勉強が嫌で嫌で、何かと理由をつけては逃れていたように思いますが、開業してからは勉強というものがこんなに楽しいことだったのかと痛感させられました。未解明のことが、少しすつ解明していくことはとても面白いことだと思いました。